タイトルのように、「早起きは三文の徳」とはよくいう。
あまり朝型とは言えない。
ただ、家族が朝型故に叩き起こされて、
だるさを感じながら、のそりと起き上がるのが日常だ。
ただ、いい点とすれば、そこまで早い出勤でない限り、
朝に自由な時間が生まれること。
今日もバイトの出勤前にこのブログを書いています。
長めの勤務だと、帰ってきてから夕食とシャワーを済ませることで精一杯。
それ以外に時間を割く気力が湧かないのです。
正社員時代は休みが少な過ぎて、
時間の隙間を縫ってもっと詰め詰めの予定を組んでいました。
けれど、今の私にはそこまでの気力はまだ戻ってきていません。
まだ、適応障害から完全復帰はしていない現状なのを痛感しました。
元々、休むことが苦手で、
休日はバイトなり趣味なり、友人たちと会ったり。
とにかく予定を詰め込んでいた。
一日2、3件予定をこなすぐらい詰め込んで過ごしていました。
時間を無駄にしたくなくて、家にいるのが嫌で、
立ち止まって休む時間が惜しくて、がむしゃらに動いてました。
ただ、これはあくまで体力や気力がある場合に限ります。
私は学生時代、それはそれは必死でした。
人間関係の構築に失敗し、急に孤立して何もかも壊れた高校2年生。
あの頃が一番の暗黒期と言っても過言ではないと思ってます。
ストレスから、抜毛や足を引きずっての歩行、
筆記具が普通に持てずグーで握りしめてふにゃふにゃの文字をなんとか書く。
今考えれば、この時も適応障害だったのかもしれない。
高校のカウンセリングにかかり、勧められたメンタルクリニックに受診。
その後、環境と自分の心身不調の悪化に耐えきれず、休学からの留年。
結果、約1年。
ベッドと病院の往復生活の日々。
何もできず、寝てばかり。
気力も体力も疲れ果てていました。
留年した4月から周囲においてかれることに焦りを感じ、
焦る気持ちも相まって、
一気に活動を開始するに至った。
一番動ける、青春真っ盛りの年齢の時にベッドで引きこもって過ごした経験が、
今でも私を駆り立てているように思えます。
もう何年も経っているのに、大学生や社会人の時に
「高校2年生の時、耐えていたら」なんてことも思っていたけれども、
障がいが発覚してからは考えなくなったのはいいことかもしれない。
どのみち人間関係などでの壁にはぶち当たっていたのだと思う。
それが私は高校2年生だった。ただそれだけ。
唯一の不満といえば、2つの病院では発達障害と診断してもらえず、
自分を責めていることが多かったのがしんどかった。
病名も告げられず、言われたとしても「うつ状態」「適応障害」のみ。
もっと早く発達障害と知っていれば、
もう少し早く救われたのにな、とも思うが致し方ない。
今通っている病院が、小児科も取り扱っている所で、
発達心理学にも知見がある先生だったのが本当によかったです。
こう考えると、世の中の巡り合わせって不思議だな、と思うわけです。
話がそれてしまいましたが、
生活サイクルが朝型に変化していることが、
正直しんどいながらも、いい方向に向き始めているかも、という話でした。