昨日は、少しばかり過去を回顧したことによって、
夜の寝つきがとてつもなく悪くなりました。
最近、自分でタロとやオラクルカードを引くと、
「過去からの解放」「新たな道を進む」などなど、
過去と決別するように示唆するカードが何枚も出ます。
しかも、それぞれ別のスプレッド(引き方)で引いても、
過去のカードや現在を示唆するカードが、
過去を割り切るようにと何度もメッセージをくれるのです。
私には後悔しても仕切れない過去がいくつもあります。
でも後悔したってその過去は消えないし、償いにすらなっていません。
勝手に自分で自分の行いを悔いて、傷ついているだけなのです。
一種の自傷行為となんら変わりありません。
けれど、人間というものは割り切りが悪いものでして。
頭では理屈ではわかっているつもりでも、
そう簡単には割り切った行動ができないのが現状で。
精神的に不安定な時や、落ちている時は追い打ちをかけるように、
過去の出来事が走馬灯のように駆け巡り、うじうじとしてしまうわけです。
なんとも効率よくないし、自分を傷つけたっていいこともないのですが、
人間の脳というものは、良くないことや嫌な思い出は脳内でリフレインしてしまい、
逆に定着してしまうという、なんとも良くない性質も持ち合わせているそうです。
その特性はASDなどの発達障害となると、さらに増強されてしまうらしく、
元から過去の出来事に囚われやすく、
特に嫌なことばかり記憶に残りやすかった私にとって、
その話を聞いたとき、性格的なもんだけではないんだと、
原因がわかって少しばかりスッキリしたものでした。
私はたまに、私の頭の中の記憶が、
本当に自分のものなのかと心配になる事があります。
記憶には、自然と感情のフィルターがかかります。
思い出補正がかかりすぎて、真実とは違う捉え方をしてないか。
また、捏造した思い出が脳にあるのではないか。
そんな風に思うと、途端に怖くなってしまうのです。
私が今まで積み上げてきた人生は全て形に表すことはできませんし、
他人に具現化して提示することもできません。
当たり前のことではありますが、「目に見えない」ということは
思っているよりも怖いものだと思えてしまうのです。
私が資格や肩書きなどに縋りつきたくなってしまう本質は、
もしかしたらここにあるのかもしれません。
私は自己表現が苦手で、色んなことをうまく伝えられません。
だから、形になるものに縋ってしまう。
けれど形に残らないもの相手だと、自分に自信が持てなくなって、
反動で不安に押しつぶされそうになってしまう気がします。
信念なども持ち合わせていないのも大きいかもしれません。
良くわからないこだわりなら固執してしまうのに、
人生の指標にまではならない、こだわりという固執対象。
同じ固執でも、言葉が違うことで捉え方も違ってきますね。
不思議なものです、とても。
今の私はとても迷子で不安定です。
なので休みの機会を使って、少し思考を整えようと思います。