思いつきや感情の衝動で行動することってありますよね。
衝動買いとかも一例ですが、
大きな決断とかも悩みに悩んで悶々としていたかと思えば、
鶴の一声で引き受けたり、行動したりと、
ある意味人生を、物事を大きく動かすことがあります。
普段は慎重派とも言えるぐらい、すぐに行動に移せずに悶々と悩んでは、
自分の頭の中ですぐ否定的な意見が浮かんで、
動けずに立ち止まって、また悩んでの繰り返しをします。
ただ、好奇心やモチベーションなどの気持ちが膨らんでいくと、
ある日悩んでいた数日や数ヶ月を忘れたかのように、思考やタガが外れます。
今まで踏み出せなかった一歩どころか、数歩先まで行動してしまうのです。
私の憶測ですが、こういう経験は過去に何度もあるのですが、
悩んでたり苦しんでいた反動で、思考が一気に弾けちゃうんでしょうね。
抑圧された、否定され続けた幼少期・学生時代を送ってきた弊害とも言えます。
「こうあるべき」「いい子でいるべき」と教えられ、
間違っていたりするたびに否定され、注意を受けてばかりの家庭環境は、
そこで生まれ、育っていく子供にとって、
深いコンプレックスと傷を植え付ける劣悪な環境となります。
結果、こんな人間に成長する訳です。
自尊心が著しく低く、周囲の目に怯えながら生きています。
「いい子」で居続けなければならない呪縛に囚われ続け、
少しでもミスすれば全てを否定されると感じてしまい、震えてしまいます。
今だって、今日だって、これからだって、
何かをするのも親の顔色を伺い、親のリアクションに怯えます。
職場では、聞こえてきたり察してしまう、
機嫌の悪い人の空気感や態度に怯え、胃やお腹を痛めるのです。
仕事でミスしないか怯え、何度も確認作業をしてしまい、
効率悪い仕事をしてしまって、ヘイトを買ってしまうのも現状です。
こんな生き方をしていたら、そりゃ疲れますよね。
頭ではわかっているのです。
でも人格形成に重要だった時期に植え付けられた、
価値観などの「核となる思想」は簡単には変えられません。
昔はそのことすらわかりませんでした。
周囲と自分の置かれている環境が違うことは感じていましたが、
自分の障がいのことも知らなければ、
親との関係性も「厳しい」だけで完結すると思っていたぐらいなので、
一度家を出て他者の価値観などを垣間見て、今までの異常性に気づけたのでした。
今は、実家に住んでいることによって、怯える日々です。
決して悪いことをしていなくても、
親の機嫌を損ねたりする行為は、反逆した扱いで責められるのですから。
子供は親の奴隷ではないのに。
親子の闇は深いですね。
私の両親はそのことに気づいていないのだと思います。
一生知らずにこのまま私が我慢して平穏が保たれるのなら、
私が耐え忍んで、これからも生きていくしかないのです。
でもそれでは脆い私は壊れてしまうので、早く引っ越しがしたいのでした。