気ままな独り言。

発達障害、占い、好きな事を気ままに発信。

上がったり下がったり。

先日、心療内科・精神科の定期診察がありました。

結果的に、薬が増えました。

過敏性腸症候群の症状悪化による、薬の追加です。

「痛みが悪化してお腹を壊した時」限定の、

屯服薬のポジションですが、現状飲む頻度は多めです。

 

また同様に、ここ最近悩んでいた、

「頭がふわふわする症状」についても対処法を聞けたのでした。

こちらも過敏性腸症候群同様に、症状が出たときに、

元々処方されている、屯服の精神安定剤を服薬するようになりました。

この屯服薬は、ここ最近減薬していたものだったので、

個人的には服薬量が増えてしまったのは残念でしたが、

日々の生活、日々の業務に支障が出ては困るので、致し方ありません。

 

結果として、どちらの症状も劇的に良くなったわけでありません。

しんどい時は薬を飲んでも気休め程度、

ただ落ち着いている時は服薬を忘れるという、なんとも極端な現状です。

その日によって症状にもムラがあるので、

こればっかりは致し方ないのですが、

落ち着いている日があるだけ、ひとまずよしと切り替えます。

 

季節の移り変わりも相まって、体調が安定しないのも悩みですね。

前もお話しした、同じ職場での半年の壁にも、

現在進行形で、必死に越えようともがいているうちに、

半年から更に、1ヶ月過ぎていることに今更気づきました。

気づいたら過ぎていたって、ある意味幸せなのかもしれません。

胃痛の日々だったのは否めませんが、これからもきっと戦いの日々です。

 

最近、また新たな悩みが出てきたのですが、

仕事でパソコンを入力するものの、数字入力が多いために、

最近たまにタイピングすると誤字まみれで凹んでおります。

この記事を書き上げている現在進行形でも、タイプミス祭りでもどかしいです。

指が固まってしまっているのでしょうか。

特にパソコンを触らなくなったわけでもないのに、

急に動かしにくくなった気がして、モヤモヤしております。

身体の色んな部位が凝り固まってる自覚はあるので、

その要因もあるのかもしれません。

 

そんなことを思いながら、ふと思い出したかのように、

少しだけ気分転換に手のストレッチ?をしてみたら、

手が軽くなったような気がしました。

そんな些細な出来事ではありますが、

ストレッチってやっぱり大切なんだなぁと実感しました。

 

そんな当たり前のようなことにも気づけたので、

今日はストレッチして寝てみようかな、と思っています。

最近、睡眠の質もよろしくないので、

体をほぐして、少しでも改善するといいなと思っています。

 

毒親、怖い。

先に注意書き失礼します。

今回はかなり感情的な思いを文章にぶつけています。

独親への不平不満が多いので、ご気分を害されるのが嫌な方は、

ブラウザバックを推奨いたします。

それでも深淵を覗いて見たいという物好きの方は、

どうぞこの先もお進みください。

 

ただ、ここから先に進まれる方は、

例え気分を害されたとしても、自己責任となりますので、

その点は、あらかじめご了承くださいませ。

 

 

 

 

ここ最近、少しは落ち着いていたと思っていた父の言動が、

面倒な方向に過激になってきました。

 

「共用スペースを勝手に占領するな」と

棚に避けて置いていた洗濯物たちを邪魔だと文句を言われ、

「布団は床に落とすな」と、いい歳した娘の部屋に勝手に入り、

部屋を掃除して勝手にベットメイキングされて、文句を言われる日々。

 

ちなみに前者は、セーターなどの手洗い機能などで

母に洗ってもらうために避けてあったものであります。

(家事は基本的に母のリズム・やり方があるため、

 勝手に介入できないので、任せているものもあります)

 

また、後者は一度注意を受けてから自分でも布団は整えているのに、

たまに落ちてしまったタイミングを狙って、ネチネチ攻撃してくる始末です。

 

どちらも言ってることは正しい面もありますが、

こちらの感情や状況などは一切考えず、ぶつけてくる現状に、

思わずこちらも触発されて、つい苛ついた態度をとってしまいます。

それで呆れたような態度を取られて、

全て私が全て非があるように馬鹿にされるのが、さらに癪に障るのです。

 

文面だけでは、父の指摘はまともなように聞こえてきますので、

親の言いなりになって、私が気をつければいいのでしょう。

でも、言い方タイミング・態度が全て私の感情に攻撃をしてくるのです。

これはもう、この高圧的に圧力かけてくる親の環境下で、

幼少期から生きてきた人間だからこその拒絶反応ともいえるのでしょう。

 

ほんの1、2分程度しかなかったはずの、親の攻撃を受けてからというもの、

1時間以上感情が渦巻いて、ドス黒く渦巻いてしんどかったのですが、

毒親の状況を知っている知人に吐き出して少し冷静を取り戻し、

春先にしようと思っていた引越しを前倒しにする気持ちで、

真剣に物件探しをして、ひとまず精神を落ち着けていました。

勢いで一件、不動産会社に問い合わせを送ってひとまず満足した現状です。

 

そして、この話の続きでまた怖いところが、

母は毎度のことのように知らぬ存ぜぬで関与してこない、

父は吐き出してスッキリしたのか、機嫌が良くなっている状況下で

おしゃべりしながら、夕食の食卓を囲まなければならないという、

ドス黒い感情で真っ黒な私にとって、過酷環境を乗り越えたのでした。

 

長々とお話ししてしまいましたが、

先ほど感情の勢いに任せて、内見の予約まで取り付けた私は、

次の休みまではこの約束を心の拠り所に、家でも職場でも孤独と戦います。

実家への甘え。

今日、急に親が持病で動けなくなったのですが、

そう言う時に、いかに普段自分が甘えているかを痛感します。

 

普段全く家事をしないわけではありませんが、

食事を摂るのが遅いので親と食事の時間が異なるため、

後から食べ終わった自分の食器や、自分の水筒、

あとは私が帰ってくるまで保温していたお釜などは自分で洗うのですが、

洗濯物や買い出し、共有部の掃除等々は親に甘えている自覚があります。

一因としては、自分のルールに沿って行いたいと言う親の特性もあるのですが、

その言葉を鵜呑みにして最低限の干渉のみにして、

基本的に私の分も任せっきりなのは、本来良くないとは自覚しています。

ただ、子供の頃から親のやり方に適応できなくて、

手伝っても逆に嫌がられていたり、遠回しに拒絶されたりもしたので、

そう言うトラウマも一因とも言えるので、なんとも複雑です。

 

たったの数年ではありますが、実家を離れて身内のいない土地で

一人暮らしをしていたこともあるので、最低限の人間生活は自分でできます。

その頃を考えると、今は甘えている自覚は大いにあります。

でも共同生活だからこそ、思い通りにできないことにも苦しめられます。

一人暮らしでは、良いも悪いも自分に全て返ってきます。

例えば、よくなかったとしても自己責任で処理すればなんとかなりますが、

共同生活では同じ屋根の下の人間に対して、不快感を感じさせてしまうのです。

 

そう言う意味では、実家に戻って1年半ほど経ちますが、

よくここまで共同生活してこれたな、と感動すら覚えます。

と言っても、戻ってきて10ヶ月ほどは療養メインで、

労働を始め、基本的には何もできなかったので、

共同生活して両親に衣食住等々を支えてもらう以外に、

生きる手段がなかったとも言える状況だったので、致し方ありません。

 

そんな私は、今引っ越し(一人暮らし再開)に向けて動いています。

何か言われるのが厄介なので、ひとまず親には何も言っていません。

今まで戻ってきてから親に負担してもらっていた分のお金、

一種の借金を完済したら、近場にはなりますが引っ越す予定なのです。

中途半端に過保護な傾向があるので、口出されるのが恐怖ではありますが、

もう契約をしてしまって既成事実を作り、無理やり引っ越す魂胆です。

今まで親に守ってもらっていたことには感謝しきれませんが、

今のままでは、親が過干渉になる距離感故に、

お互いに不幸になる関係性なのもまた事実なので、頑張ります。

 

自分の親のことをあまり悪く言いたくありませんが、

総合的に見たら「毒親」に分類されてしまうので、

互いの幸せのためにも、まずは借金の返済を優先し、

同時進行で引っ越し先の物件探し等、水面下で奔走しようと思います。

デジタルデトックス。

今日は、いろんなSNSのアカウントの整理をしました。

あるものはアカウント自体を削除し、

あるものは投稿を消したり、非表示にしたりなどなど、

ネット世界の自分の痕跡の整理整頓をしていた感じでした。

 

今ではインターネット上での繋がりしかない人も多いので、

全てを絶ってしまうのは難しいとは考えますが、

不特定多数へ公開するタイプのSNSは、

今は最低限のものだけにしたいと思ったのでした。

半分、衝動的な判断での行動と言える部分もありますが、

冷静に考えて、過去と今では人間関係も大きく変化しているのも事実であり、

昔は交流ツールとして必須だったコンテンツも、

今では見るのが時間潰しの一環になり、持て余していたのもまた事実なのです。

 

人間関係の断捨離をするのにも、いいきっかけなのかもしれません。

投稿形式のSNSの中には、アカウントによりますが、

長い月日が積み重なっているものもあるため、

思い出もなくなってしまうのは惜しい気もする感情もあります。

ただ、それ以上に「いろんな立場や関係性をリセットしたい」と言う、

一種の破壊衝動のような感情が大きくなってしまったのでした。

なぜか、今日の仕事中にも何度も頭をよぎり、

「アカウントを消そう」と言う思考に取り憑かれていたのでした。

 

ただ、作画に衝動に任せて全てを消したわけではないので、

あくまで少しだけしか整理できていませんが、少しすっきりした気分です。

SNSやインターネットの世界は便利で快適な環境ですが、

それと同時に、危険や精神的に不安定になる要素も孕んでいるのです。

いろんなネットの世界を垣間見た私は、そう思っています。

 

そんなことをしてSNSの断捨離しているものの、

こうやってネットの海に思考を吐き出している時点で、

あまり変わらないのかもしれません。

ただ、以前よりも言動には気をつけるようになった程度には、

実年齢だけでなく、精神年齢的にも大人になったと思っています。

ネット環境でいい経験も、悪い経験もしたからかもしれません。

 

SNSは手軽で便利なツールなだけでなく、簡単に精神をも蝕む側面もあります。

最近の私にとっては、後者の側面の方が強く感じてしまいます。

その結果、削除すると言う極端な行動に出たのかもしれません。

 

今回の一件に限らず、普段は慎重に考えたり行動を心がけていても、

ある時押し込めていた感情などが急に全て弾けてしまい、

衝動的に極端な行動する一面を持ち合わせているのです。

 

今日のような衝動が明日以降も続くのか、

答えは分かりませんが、後悔しないように行動したいものです。

 

 

手帳持ちの思う事。

私は精神障害者保健福祉手帳の持ち主です。

そのため、使える福祉制度は活用して生活しています。

ありがたいことに、私の住んでいる自治体では、

一部の交通機関にて利用料金が割り引いてもらえるのですが、

その際には、手帳の提示が必須となっております。

 

今から私の話すこと、これは私の体感です。

被害妄想とも言えますが、私の感じた素直な思いです。

 

とある交通機関の方が、私が手帳を見せると、

その途端に声のトーンを落として対応してくるのです。

他の方には感じの言い方なので、最初は勘違いかと思いましたが、

通勤で使っているため、その方に何度か当た流ことがあるのですが、

その度に何度も同じように、トーンを落としての対応をされています。

流石にもう、勘違いではないなと思えるくらいには、

露骨な態度を取られているように感じます。

私が運賃の支払いにモタつくからでしょうか。

乗る時降りる時の挨拶もしますし、失礼なことをしているつもりはありません。

ここからは憶測ですが、手帳を持っている方に良い思いがないのかもしれません。

 

余談ですが、私の住んでいる自治体は割と福祉制度が充実しているらしく、

通勤時や他の時にも、交通機関を利用する際などに、

私と同じように手帳を所持されている方とご一緒する機会もあります。

私のように軽度で落ち着いた方もいれば、

強い座席へのこだわりや、大きめの独り言の癖の強さなど、

そうではない一種の問題行動とも言える行為を行う方もいるのも現状です。

私はあくまで軽度な障がいの程度なので、悪い意味でどっちつかずですが、

一方でどちらの感情や行動にも理解はできる立場となります。

特に本を読み漁ったので、自分と同じような発達障害の方の言動などは、

本当に少しだけではありますが、多少理解はできます。

 

つまり何が言いたいのかというと、

手帳保持者は障がいの程度は別として一括りにされてしまうんだ、という

一種の哀しみがあった、ということでした。

障がい度合いの重めの方と一緒にして欲しくない、というわけではなく、

障がい者=問題行動起こす、と一括りにされるのは悲しいと思ってしまうのです。

 

直接、口頭で指摘されたわけではありませんが、

手帳を活用して福祉制度の恩恵を受けるということは、

それだけの弊害も生まれるんだと、再認識する機会にもなりました。

 

障がい者に優しい世界、そんなものは存在するのでしょうか。

こう言ってしまうと、ある意味きつい言い方ですが、

当事者になったことで、周囲の目が厳しくなったこともまた事実です。

私は偽善者的思考の持ち主だから、自分自身は差別感情は持たないようにしてましたが、

やはり人間、自分に理解できない「障がい」という特性は、

必然的に嫌煙、そして嫌悪されてしまうのかもしれませんね。

私の両親もそんな感じですから、一般的思考に近いのかもしれませんね。

近親者がそんな風なので、周囲に期待することは減りました。

ただ、嫌悪感を露骨に見せられてしまうとしんどくなるよ、という話でした。

四苦八苦の末。

昨日、満を持して購入した新しいスマホが自宅に届きました。

ここ数年遡っても、5本指に入るくらいの安い買い物ではなかったので、

開封・設定にもかなり慎重になりました。

 

早速、SIMカードの蓋が何をやっても開かなくて、

物を使ってこじ開けることになり、少し傷をつけることになりましたが…。

普段はカバーされる場所でもあるので、

こればっかりは仕方のないことだと言い聞かせていますが、

多少凹んだのは、ここだけの話です。

 

最近のスマートフォンってすごいですね。

アプリとかデータとか、以前の機種からの移行は、

こつこつ手動でやらねばならないのかと思っていましたが、

ケーブル一本で、ほんの数分で移行できたことにびっくりしました。

ただ、LINEだけは最近バックアップを取っておらず、

勘違いの結果、以前のバックアップデータ(数年前)を上書きしてしまい、

直近でやりとりした人以外の履歴が、数年分吹っ飛びました。

ピン刺していた人、毎日のようにやりとりしている人以外は、

以前の機種に変更する前の、2020年ぐらいまでタイムスリップしまったのです。

 

また、そんなハプニングが起きたことによって、

当時とは生活も環境も人間関係も大きく変わってしまっていて、

過去の繋がりが浮き彫りになる履歴に、勝手にしんどくなりました。

今では苦い思いでも多い過去なので、こればっかりは致し方ありません…。

 

別の見方をしたら、そんな過去があるから今があって、

今の私という人間がいて、今の生き方や考え方があるのは、

頭の中では理解しているつもりなのですが、可能なら過去は消したい物です。

負の遺産ならば尚更、そう思ってしまいますよね。

 

そんな風に、まさかの思考がタイムスリップしてしまい、

結果的に精神的にすごくしんどいことになりましたが、

寝て起きたことで少しは回復しました。と思いたいですね。

正直に言ってしまうと、まだ今現在もモヤモヤしていますが…。

 

ただ、もう取り返しのつかないことなので、

ずっとウジウジしていても何も変わらないので、乗り越えるしかありません。

今回の失敗も乗り越えて、今後の糧にしていこうと思います。

どうしても後ろ向きな性格のために、ウジウジしてしまうのですが、

悶々と悩みすぎていても正直何も解決しない、時間の無駄でもある行為なので、

そこにきちんと目を向けて、前を見て生きていきたいものです。

 

話が逸れてしまいましたが、完結にまとめると、

スマホ自体は、移行も含めてLINE以外は無事に完了しました。

今後はこの新しい機種を大切にしながら、日々生きていきたいものです。

 

思い立ったが吉日。

思いつきや感情の衝動で行動することってありますよね。

衝動買いとかも一例ですが、

大きな決断とかも悩みに悩んで悶々としていたかと思えば、

鶴の一声で引き受けたり、行動したりと、

ある意味人生を、物事を大きく動かすことがあります。

 

普段は慎重派とも言えるぐらい、すぐに行動に移せずに悶々と悩んでは、

自分の頭の中ですぐ否定的な意見が浮かんで、

動けずに立ち止まって、また悩んでの繰り返しをします。

ただ、好奇心やモチベーションなどの気持ちが膨らんでいくと、

ある日悩んでいた数日や数ヶ月を忘れたかのように、思考やタガが外れます。

今まで踏み出せなかった一歩どころか、数歩先まで行動してしまうのです。

 

私の憶測ですが、こういう経験は過去に何度もあるのですが、

悩んでたり苦しんでいた反動で、思考が一気に弾けちゃうんでしょうね。

抑圧された、否定され続けた幼少期・学生時代を送ってきた弊害とも言えます。

「こうあるべき」「いい子でいるべき」と教えられ、

間違っていたりするたびに否定され、注意を受けてばかりの家庭環境は、

そこで生まれ、育っていく子供にとって、

深いコンプレックスと傷を植え付ける劣悪な環境となります。

 

結果、こんな人間に成長する訳です。

自尊心が著しく低く、周囲の目に怯えながら生きています。

「いい子」で居続けなければならない呪縛に囚われ続け、

少しでもミスすれば全てを否定されると感じてしまい、震えてしまいます。

 

今だって、今日だって、これからだって、

何かをするのも親の顔色を伺い、親のリアクションに怯えます。

職場では、聞こえてきたり察してしまう、

機嫌の悪い人の空気感や態度に怯え、胃やお腹を痛めるのです。

仕事でミスしないか怯え、何度も確認作業をしてしまい、

効率悪い仕事をしてしまって、ヘイトを買ってしまうのも現状です。

 

こんな生き方をしていたら、そりゃ疲れますよね。

頭ではわかっているのです。

でも人格形成に重要だった時期に植え付けられた、

価値観などの「核となる思想」は簡単には変えられません。

昔はそのことすらわかりませんでした。

周囲と自分の置かれている環境が違うことは感じていましたが、

自分の障がいのことも知らなければ、

親との関係性も「厳しい」だけで完結すると思っていたぐらいなので、

一度家を出て他者の価値観などを垣間見て、今までの異常性に気づけたのでした。

今は、実家に住んでいることによって、怯える日々です。

決して悪いことをしていなくても、

親の機嫌を損ねたりする行為は、反逆した扱いで責められるのですから。

 

子供は親の奴隷ではないのに。

親子の闇は深いですね。

私の両親はそのことに気づいていないのだと思います。

一生知らずにこのまま私が我慢して平穏が保たれるのなら、

私が耐え忍んで、これからも生きていくしかないのです。

でもそれでは脆い私は壊れてしまうので、早く引っ越しがしたいのでした。