私は、三日坊主の化身と言っていいほど、物事を続けられません。
自分の中に巣食う、完璧主義じみたもの。
興味の焦点がいろんな方向に散る、注意散漫なところ。
すぐに自分を卑下して諦める、逃げの姿勢。
いろんな要因が絡んで、熱を上げているものでも、
技術や能力を向上させるべく努力するという段階にまで行けないのです。
そのため、私の部屋はいろんな物でぐちゃぐちゃです。
まるで私の頭の中のよう。
いろんな興味・関心によって集めたものたちが、
いろんなところに散らばってたり収納されてたり、はたまた積んであったり。
部屋の乱れは心の乱れともいうが、今自室をぐるっとを見回すと、
まさにその言葉の光景が目の前に広がっている、そんな感じでして。
自分では、何がどこに、とかどのエリアにあるとかはわかるし、
最低限度の活動スペースは確保されているが、決して綺麗とは言い難い。
整っていはいない、雑多な部屋と表現した方が正しいのかもしれないですね。
気持ちが乗った時や焦って掃除を始めることもあるが、
ここ最近はあまりできていなかったのが、今こうやって響いているように思えます。
そう言う意味では、一人暮らし時代には、
平日はぐっちゃぐちゃに散乱してる部屋を、
休みの日の空いてる時間を掃除に充てることはルーティンでした。
何せ、当時住んでいたのはワンルームだったので、
適宜掃除しないと生活空間が確保されなかったからです。
しかも周辺環境のために部屋干しまでしていたので、
干す場所の確保のために定期的な清掃の癖がついていました。
ただ、実家に戻ってからは、自室とその他の空間と区切られてるため、
こう振り返ってみると、危機感が薄れてしまっているようにも感じました。
よくない怠け方をしています。
私は、「やらなければいけない環境下になれば、最低限自主的に頑張る」性格です。
人から頼まれたことなどは責任が発生するので頑張りますが、
自分に結果が返ってくることや自主的な行動は億劫に思いがちです。
これってある意味、自傷行為にも近しい言動なのかもしれませんね。
自分が傷つくならいいや、と自分を大切にできないのです。
でも他者に傷つけられると感情的になって、さらに自分の存在価値はないと卑下する。
なんと厄介な自己肯定感の低さでしょう。
ここに打ち込みながら、思わずため息が出てしまいました。
でも、人間そう簡単には変われませんので、妥協を覚えていくしかありません。
昔に比べれば、だいぶ落ち着いた方だけれども、
その分、爆発した時の衝撃が強く感じられるのもまた問題に思えます。
自我は自分でコントロールするしかありませんが、
そう簡単にはいかないもので。難しいですね、人間というのは。
仕事がない日はこんなことばかり悶々と考えてしまって、よくないですね。