気ままな独り言。

発達障害、占い、好きな事を気ままに発信。

記念すべき区切り。

今回の投稿は、100回目の記事らしいです。

合間合間に気ままにゆるゆる綴ってきましたが、

こうやって思うがまま、好き勝手に投稿していったものたちが、

気づけばそんなに回数を重ねていたとは、何とも不思議ですね。

 

最近は休日でなければ、投稿する気力がないほどガス欠状態です。

8月からはじめた派遣の仕事も、もう2ヶ月が経ちました。

濃すぎる慌ただしい日々の業務や生活に既に息切れ状態の中、

周囲の年末に向けた勤務時間の調整の穴埋めのために、

私が変則的ポジションで日々臨機応変に働かなければならない事、

更に加えて「別業務も覚えてほしい」と上の方より宣告を受け、

既に私のライフは、ゴリゴリに削れております。

 

ただ、今後も派遣の契約を更新してもらうためにも、

先方より望まれれば、様々な業務を覚えていかねばならない立場なのは

重々わかっていますし、できる業務が多いのは、

自分にとっても武器になるというプラスの見方もありますが、

元々そんな器用な人間ではないので、正直重圧でしんどいです。

 

現に最近、未だに怪しいながらも少しは業務内容を覚え初めて、

四苦八苦しながら取り組んでいるポジションの業務も、

先輩方や上のリーダーさんと呼ばれる責任者の方々に、

業務内で分からなくなる度に、質問攻めを繰り出す日々です。

ただ、「業務でわからなくなったら聞いて」と言われているので、救いです。

過去の職場では、真逆の環境だったのです。

例えば、疑問に思う度、不安になる度に質問ばかりして

「聞きすぎ」と言われ、怒られるのを恐れて、

聞かずに自己判断で行動した時は「何で確認しない」と

理不尽に怒られていた不器用な人間としては、

聞くことを許されている環境なのは、何とも有難いのです。

 

こうやって振り返ってみると、未だに過去の傷は大きいんだなと思います。

未だに仕事で質問するときは何度も躊躇しますし、

トラウマって簡単には抜けないものなんだな、と思います。

まぁ、よくよく振り返ってみれば、過去の職場と言っても2023年の話なので、

まだそこから離れて1年も経っていないと考えれば、

傷として残って恐怖心を抱いてしまうのも致し方ないのかもしれませんね。

 

元々、強い人間ではありません。

軽度といえど障がいも抱えていますし、感覚過敏で他の人より感受性は強めです。

二次障害で10年以上うつ状態も抱えていますし、適応障害に何度もなっています。

そして、先日相談した福祉の専門家の方からは、

今の家庭内での境遇は、障がい者虐待・モラハラを受けている環境下らしいです。

何だかこうやって考えると踏んだり蹴ったりですね。

前途多難、というのがしっくりきますね。

さて、元から全く生きる希望などない私は、

最近は専ら親への借金返済のために生かされているような状況です。

希死念慮をお腹の奥底に常に飼っているので、

最近は落ち着いているものの、たまに顔を出してしまうのです。

 

生きるのって、難しいですね。本当に。

ひとまず、ルールや契約がある限りは全うすべく頑張ります。