今日の話題は、あくまで精神的な性別の男女の話ではなく、
身体的な、生殖的な男女の違いのお話です。
私はトランスジェンダーではないと思っていますが、
自分が女性であることの煩わしさや、
身体的・社会的立場など、無力さ非力さを感じてモヤモヤしたり、
「男性に生まれていたらよかったのに」なんて思うことは、
幼少期から現在に至るまで、常々ありました。
例えば、自身のことを「私」と名乗ることに抵抗があった小学生時代、
親の前では女子児童がよく使う「うち」と言えなかったのもあり、
一人称を「僕」と名乗ったところ、幼馴染のお母さんに突っ込まれ、
その場に一緒にいた母には、こっぴどく怒られたなんて過去もありました。
このエピソードには、親の望む対応を拙いながら思考錯誤した結果、
失敗したという自閉症あるあるのような経験でもあるのですが、
その時に思った「なんで一人称も自由にいえないんだ」という気持ちが、
ずっと私の中でしこりとして残る、印象的なエピソードでもあったのです。
あの時、その場にいた大人たちにとっては、
何とも思っていないような些細なことなんでしょうけれども、
心を抉られた経験として、今でも私の中では残っているのです。
私のこの感情は、一種の憧れです。
トランスジェンダーの方とは違って、
女性として生まれながら、性自認が男性というわけではないのは自覚しています。
ただ、女性として生きることへの煩わしさは常に感じています。
人間関係などでも「若い女性」というだけで疎まれたり、逆に色目を使われたり、
私にとっては、面倒ごとに巻き込まれる要素でしかなかったのでした。
女性は男性よりも、容姿が重要とされる傾向があると私は思っています。
年齢も少しでも若い方がいい、と思われやすいという風潮があるのも、
私の実体験から、ひしひしと感じています。
ただしこの発言は、決して自分より年齢が上の方に悪意があるわけではない、
ということだけは、拙い言葉ながらでも伝えたいのですが、
うまく伝わらなかったら、気分を害された方がいらっしゃいましたら、
こればっかりは、本当に申し訳ありません。
さて、なぜこんな話をし始めしたのかというと、
そのきっかけは、今日のタイトルまで遡ります。
簡潔にいうと、生理が来たのでした。
昔はそんなに症状はひどくなかった、何なら無かったくらいなのですが、
自律神経のバランスを大きく崩して以降は、
年々症状がひどくなって、日常生活にも大きく影響を及ぼしているのです。
生理前の不安定な精神状態・身体症状含め、
女性である煩わしさを、毎月感じてしまうのです。
今日はいつにも増して支離滅裂なので、この辺りで止めておきます。
こうやって書き出してみると、性差の話は中々難しいですね。
今の日本でも、色んな方の努力のおかげで少しはマシになったものの、
現在でもタブー視されがちな話題でもあるので、
もっとオープンに話せる環境だったり、文化になっていくといいですね。
ただみんなが、常識範囲内で他者に迷惑かけない程度に、
ありのままで生きていけるようになったら、なんて思ってしまいます。